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コラム20 <武井武雄とヨージェプリチュニク (イルフ童画館訪問) 代表理事 板倉正子
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 先日、長野県岡谷市にあるイルフ童画館を訪ねる機会を得た。
武井武雄はご存知の方も多いと思うが、明治から大正にかけて、子供のための絵画を童画と言う位置付けのもとに、絵画制作に心血を注いだ画家である。コドモノクニやキンダーブックなど、子供のための雑誌に彼のお話や絵が掲載され、武井武雄の名前は知らなくても、その独特な、ファンタジーあふれる絵を見れば懐かしさとともに記憶のよみがえる人は多いと思う。
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 筆者が子供のころは、確か「ひかりのくに」と言う雑誌を購読しており、そこには武井武雄や初山茂と言った童画家たちが、子供の成長に暖かいまなざしを向けながら描いた多くの夢のある、おしゃれな絵が描かれており、それらの絵は現代においても今なおモダンな雰囲気を醸し出している。イルフ童画館では、武井武雄の原画や刊本作品(限定300部の私家版 注1)のいくつかが展示されており、その中に身を置くと、何十年の時を遡り、子供の頃の、午後の日の翳りや、雨のにおいなどがリアルな感覚で蘇ってくる。
 武井の仕事場を再現した部屋では彼の画業以外の仕事、オリジナルのカルタ作りや、陶印作りなどが紹介されている。そこで展示されている武井の実際の仕事机を見た時、ふっと、ヨージェ・プリチュニクJozePlecnikを思い出した。ヨージェ・プリチュニク(1872年〜1957年)は一般にはあまり知られてはいないが、建築関係の人なら良くご存じのスロベニア出身の建築家である。オーストリアの工芸学校を卒業後、ウイーンで建築を学びオットー・ワーグナーの設計事務所で働いた。その後10年ほどをプラハで活躍したあと、スロベニアにもどった。首都リューブリアーナにある有名な三本橋の設計や、市場の建物などを設計した。

 リューブリアーナで彼の博物館(事務所跡)を訪れた時、案内の女性から受けた説明では、彼が、あまり来客を好まなかったこと、性質の違う素材、たとえばガラスと鉄などを融合させ、建築に生かそうとした、ことなどを聞き、非常に印象に残った。又彼は建築手法においても、伝統と革新をフレキシブルに融和させることを常に試みていたということを知り、非常に彼に興味を持った。彼の作業机の上に置かれた製図道具や筆記用具の配置と、武井の机の上に置かれた篆刻刀や鉛筆の配置にある種の共通した法則があるように思えた。ヨージェ・プリチュニクは後年、その功績をたたえられ、スロベニア紙幣の肖像になっているそうである。



 武井武雄、という名前がなぜあまり人に知られていないのか、を考えると、彼の仕事が子供を対象にした仕事であったこと、またその大部分が、「刊本作品」という限定された人向けの仕事であったことなどがその理由ではないかと思える。{刊本作品とは本をその内容である絵、話だけではなく、印刷、装幀、函の全てにおいて表現の一つであると捉え制作された作品である。Wikipediaより}


column_20_03  イルフ童画館では、その幻の美書ともいわれる刊本作品を、来館の、特に子供達に、じかに触れさせる機会をできるだけ多く持たれようとしている。これは勇気ある試みで、非常に意義のあることである。また、武井武雄の生家(諏訪地最古の武家住宅・長野県岡谷市)は平成20年より岡谷市の所有となっているが、老朽化が進み、その存続が危ぶまれており、現在保存へ向けての署名活動がおこなわれているという。生家の保存活動とともに、今後、武井武雄の業績がより多くの人々に知られることを願ってやまない。



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