筆者が子供のころは、確か「ひかりのくに」と言う雑誌を購読しており、そこには武井武雄や初山茂と言った童画家たちが、子供の成長に暖かいまなざしを向けながら描いた多くの夢のある、おしゃれな絵が描かれており、それらの絵は現代においても今なおモダンな雰囲気を醸し出している。イルフ童画館では、武井武雄の原画や刊本作品(限定300部の私家版 注1)のいくつかが展示されており、その中に身を置くと、何十年の時を遡り、子供の頃の、午後の日の翳りや、雨のにおいなどがリアルな感覚で蘇ってくる。
武井の仕事場を再現した部屋では彼の画業以外の仕事、オリジナルのカルタ作りや、陶印作りなどが紹介されている。そこで展示されている武井の実際の仕事机を見た時、ふっと、ヨージェ・プリチュニク を思い出した。ヨージェ・プリチュニク(1872年〜1957年)は一般にはあまり知られてはいないが、建築関係の人なら良くご存じのスロベニア出身の建築家である。オーストリアの工芸学校を卒業後、ウイーンで建築を学びオットー・ワーグナーの設計事務所で働いた。その後10年ほどをプラハで活躍したあと、スロベニアにもどった。首都リューブリアーナにある有名な三本橋の設計や、市場の建物などを設計した。
リューブリアーナで彼の博物館(事務所跡)を訪れた時、案内の女性から受けた説明では、彼が、あまり来客を好まなかったこと、性質の違う素材、たとえばガラスと鉄などを融合させ、建築に生かそうとした、ことなどを聞き、非常に印象に残った。又彼は建築手法においても、伝統と革新をフレキシブルに融和させることを常に試みていたということを知り、非常に彼に興味を持った。彼の作業机の上に置かれた製図道具や筆記用具の配置と、武井の机の上に置かれた篆刻刀や鉛筆の配置にある種の共通した法則があるように思えた。ヨージェ・プリチュニクは後年、その功績をたたえられ、スロベニア紙幣の肖像になっているそうである。
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